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第88独立狙撃旅団(;略称88 осбр )は、ソビエト連邦が第二次世界大戦中に創設した民族旅団の1つ。極東戦線情報科に直属し、満州・朝鮮半島における偵察・破壊工作を使命とした。 旅団は、元東北抗日聯軍将兵が中核となり、主として中国人と朝鮮人から編成された。後の朝鮮民主主義人民共和国国家主席、金日成は、同旅団の第1大隊長を務めていた。ただし、朝鮮労働党の公式見解では、金日成は朝鮮人民革命軍を組織して東北抗日連軍本体とは共闘しつつも別行動であったとしており、その後の入ソの事実は無視されている。中国共産党は、この部隊を東北抗日連軍教導旅団(抗連教導旅)と称している。 == 前史 == 後に旅団の中核となる東北抗日聯軍は、1939年頃から関東軍と満州国軍の大規模な掃討作戦により、多数の戦死者を出した外、日本当局に帰順する者も出始めた。周保中、崔庸健、金策、金日成等、残った者達も物資の不足により、活動の続行が困難となった。そのため、彼らはソ連に脱出することを決定した。 1940年12月末、聯軍はアムール川を渡って、ソ連領内に入った。ソ連領内では、聯軍の活動支援のため、当初、約100人がここで訓練を受けたが、後に200~300人にまで増加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第88独立狙撃旅団 (ソ連軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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